仮想通貨を最近始めてなんとかなけなしの貯金を回復させた銀行員のブログ。

14卒の銀行員が素人ながら仮想通貨始めました。浪費癖で貯金20万の状態から、仮想通貨で総資産140万円まで回復。現在は給料をできるだけ仮想通貨にぶち込みたいので節制生活送っております。その他、筋トレが趣味です。ちょくちょく1人でナンパもしてます笑。勉強中の身なので、皆と一緒に仮想通貨について学んでいきたいと思います。

インフェルノ

迫力満点、残酷だが、最後は切なく・・・

冒頭20分は、主人公の幻覚シーンが過激だった。

 

この話、僕はついていけるのか・・・不安だった。

 

その不安は中盤以降の波乱万丈な展開により、

 

ものの見事に覆された。

 

正義とはなにか・・・この映画に悪はいなかった。

あの映画は、登場人物全員が、

 

「世界(人類)を救う」という目的で動いていた。

 

それが大量殺人を企んだり、阻むものは抹殺したり、

 

歪んだ行動だったかもしれない。

 

でも、各々が強い正義感から生まれた行動だった。

 

人の命を奪う権利はだれにもない

僕の好きな小説で、中村文則さんの「何もかも憂鬱な夜に」という本がある。

 

その本で、僕が心に突き刺さったフレーズがある。

 

刑務所の刑務官である主人公が、控訴を躊躇う死刑確定の男に投げかける言葉。

 

「殺したお前にすべて責任はある。だが、お前の命そのものに責任はない。

 

だから、死刑と分かっていても控訴しろ。すべてを話せ。」

 

僕は、死刑制度には反対である。

 

何故、人を殺した人間に与える罰が、「殺す」なのか。

 

甚だ疑問である。

 

法で決められた「悪」=この世からいなくなるべき人間(殺してもいい人間)

 

だとしたら、

 

それぞれの人間が自分の主観(法)で「悪」に該当する人間は、

 

その人にとって殺していい人間になってしまう。

 

DEATH NOTEも、キラが自分の存在を神(法)と決めつけ、

 

キラ(法)の中の「悪」が消されてしまう。

 

死刑を認めるということは、

 

人殺しを認めるということと同意義である。

 

だから、僕はどんな状況であれ人殺しを行ってはだめだと思う。

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